高槻ご意見番

「高槻ご意見番」の代表で、高槻市議会議員の北岡たかひろのブログです。

【京大農場】ゾンビ議案が100億円以上の税金を喰う

平成24年2月8日史跡整備等特別委員会

2月8日の史跡整備等特別委員会で、高槻市は、京大農場を買取るための議案(債務負担行為)を3月議会に提出すると説明しました。

京大農場買取りの発端は、約9年前の奥本前市長の「サッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致」の公約なのですが、委員会で市側は、私の質問に対し、「前市長の公約については答える立場にない」「昨年の市長選挙で防災公園にするとの公約を掲げたので問題ない」といった答弁をしました。

濱田市長が、奥本前市長と何の関係もないのであれば、そういう答えも認められるのかもしれませんが、多くの市民の皆さんがご存知のとおり、濱田市長は奥本前市長の後継者です。市長選後の報道によれば・・・

平成24年4月の高槻市長選挙についての報道1

高槻市長選挙で初当選を決めた浜田さんは・・・今季で引退する奥本市長から花束を受け取り、「奥本市政の3期12年の実績が問われた選挙。認められて、本当にうれしい」と、笑顔で話した。
・・・民主、自民、公明3党からの推薦のほか、共産党からの応援も受けた。



平成24年4月の高槻市長選挙についての報道2

・・・浜田氏は現職の後押しを受けて立候補。「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、現市政を引き継ぐ姿勢を強調。・・・



とされています。奥本市長から、市政を受け継いだだけではなく、与野党相乗りの支援も引き継いだのです。

「幽霊運転手」事件で、公文書改ざんを指揮した山本前管理者を副市長にしたことも、奥本体制を引き継いだ証左といえるでしょう。

濱田市長は「防災公園」の公約をしたと言いますが、これについても奥本市政からの経緯があるのです。

平成15年、奥本市長はスタジアム建設の公約を掲げ、約195億の経済効果を試算しながらも、京大農場に遺跡が埋まっていることから事実上実現不可能と悟ったのか、トーンダウン。平成19年の市長選挙の際のビラには、「安満遺跡芝生公園の整備促進・・・遺跡公園化に向けた取組を引き続き進めます。」と、サッカースタジアムやガンバ大阪の文字は消えてしまいました。

平成19年の奥本務高槻市長の公約

けれども、公約破綻を認めたくないためか、頑なにスタジアム建設は行政案であるとし続け、公園整備について、「国補助含め、できるだけ本市に有利な事業手法を模索していきたい」とし、平成21年2月には、その手法として、国土交通省の「防災公園街区整備事業」の補助金の活用を言い出しました。防災上の必要からではなく(防災上有益な農地は同事業の趣旨から対象にならない)、単に補助金がほしかっただけです。そしてその年の9月には、京大・URとの間で、京大農場を買取り、URに工事をさせる覚書を交わしてしまいました。

ところが、調査していた遺跡の範囲が判明すると、スタジアム建設は、「行政案」から「3つの行政案のうちの一つ」に格下げされてしまいました。遺跡の範囲からすれば、ガンバ大阪が計画するスタジアムは建てられないという指摘を私は議会でしましたが、冷静に見れば、誰がどう考えても、スタジアム建設は不可能だといわざるをえないはずです。

23年4月の高槻市長選挙の際、確かに濱田市長は、京大農場を防災公園にするとの公約を掲げましたが、これは、国の「防災公園街区整備事業」を活用するという手法に沿ったものに過ぎません。

平成23年のはまだ剛史高槻市長の公約

23年の9月議会に、濱田市長は、京大農場を買取り、公園化するための議案を出しましたが、継続審議に。10月には、ガンバ大阪が、吹田市にスタジアムを建設することを決定。

ガンバ大阪スタジアムが吹田市に

濱田市長は、11月、継続審査となっていた議案を撤回することを表明し、12月議会で正式に撤回しました。

防災公園議案撤回

そもそもの目的であった、ガンバ大阪のスタジアム建設が不可能になったのですから、「防災公園街区整備事業」を活用して、京大農場を購入し防災公園にする必要はなくなったわけです。

しかし、濱田市長は、いったん撤回した案件を、3月議会に提案するとしています。

「スタジアム建設」という魂を失った案件が、まさにゾンビのように生き返ったわけです。

これはどう見ても、破綻した奥本前市長の公約の尻拭いです。

前市長が公約をごり押しし破綻を認めずに進んだために、農場を買う覚書を交わし、そのために京大は移転を決定した。もし、農場を買う破目に、あるいはその損害を賠償しなければならない破目になるのだとしたら、前市長個人の責任です。それをなぜ税金で尻拭いしなければならないのか。

公園にどんな施設をつくるのかも、これから決めるとのことです。本来の目的であったスタジアム建設は不可能となり、防災公園についても構想はなく(以前の3案は白紙撤回とのこと)、漠然と「公園にする」というのみ。どれだけのライフサイクルコストがかかるのかも分からない。

地方財政法4条は「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない。」としていますが、この趣旨に反した支出といえるのではないでしょうか。

果たして、高槻市役所が何らかの施設を造ったとしても、それは莫大な用地費に見合うものになるのか。無駄な箱物に、無駄な維持費が費やされる結果になりはしないか。国から補助金が出るというけれども、その原資は税金です。

こんなバカなことはやめさせたいのですが、市議会は与野党相乗り。史跡整備等特別委員会では、私の市長に対する「選挙時にはどんな防災公園を想定したのか」という質問を、社民党の委員長に認めてもらえず、市長も答えませんでした。

3月議会で提案されれば、多数賛成となることでしょう。残念ですが・・・4月19日に京大農場訴訟の判決言渡しがありますが、それに一縷の望みをかけるだけです。