1週間前に投開票が行われた衆院選・大阪10区(高槻市・島本町)の戦い。圧倒的に不利と考えられた池下卓候補(日本維新の会)が、辻元清美候補(立憲民主党)(以下、敬称略)を破り、しかも比例復活さえさせなかったのは、「鬼滅の刃」の煉獄さんではないが、まさに「よもやよもやだ」。維新支持者にとっては、(決して飛び込んではいけないが)道頓堀に飛び込みたいくらいの喜びであろうし、逆に、立民支持者にとっては、煉獄さんを失ったくらいの非常なショックであろう。
今回の戦いは、鬼滅の刃の登場人物らの相関に似ていると思う。以下、辻元を鬼殺隊の煉獄さん、維新を鬼側に例えるが、決して、どっちが正義でどっちが悪だという意味ではないのでご了承いただきたい(鬼滅の刃をご存知ない方はググってください)。
鬼滅の刃で、正義の側の「鬼殺隊」の幹部は「柱」と言われ、「呼吸」により身体強化し、「型」と呼ばれる技を使う。「炎柱」の煉獄杏寿郎であれば、「炎の呼吸・壱ノ型・不知火」といった必殺技。9人の柱それぞれが、独自の呼吸を使う強者である。
鬼のほうは、元は人間なのであるが、鬼の始祖である「鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)」(以下「無惨」)という超絶の力をもつ鬼の血を分け与えられたことで、人間をはるかに凌駕する力を得ている(与えられる血が濃いほど強力になる)。ただし、鬼になると、太陽光を浴びれば死ぬという大きな制約がかせられるうえ、無惨の逆鱗に触れると、激しいパワハラを受け、殺されることもある。
辻元は選挙に強く、組織票の少ない社民党時代でも、個人的人気で当選していた。立民の副代表という立場だけではなく、そうした個人的な強さからしても「柱」と呼ぶにふさわしい。還暦は過ぎているが、老け込んでいないので、婆柱というのは失礼であり、「おばちゃん柱」とでも例えるべきであろう。さらに、民主党・立民入りし、組織力・組織票も得た。ただでさえ強い煉獄さんに、「水の呼吸」を使う竈門炭治郎らが助っ人に加わったようなものである。
一方、維新は、始祖たる橋下徹の個人的人気から生じ、実質3代目の吉村に受け継がれたトップの顔・看板が候補者らの強みであり、辻元のように個の強さで勝ち上がれる者はほぼ皆無である。高槻市議会でも、維新公認で上位当選した議員らが、公認を得なかった次の選挙では全員落選ということがあった。維新の看板は、まさに無惨の血の如く、大きな力を与えるのである。維新の議員が問題行為・調子に乗った行動をすれば、トップから、アホ・ボケ・カスと罵られ、ある者は除名され、ある者は土下座するかのようにひれ伏し許しを乞うた。橋下とパワハラモードの無惨の姿が重なる(3代目無惨たる吉村知事は優しそうだが)。
鬼滅の刃に登場する鬼達は、人を殺して喰らう残忍性をもっているのだが、人間時代の切ないエピソードを持つ、実は悲しい存在でもある。
維新候補の池下が立候補した経緯を振り返る。今から2年半前の大阪府議選。高槻市・三島郡選挙区(4人区)から、池下と元衆議院議員の松浪健太が出馬し、松浪がトップ当選、池下は2位のワンツーフィニッシュを飾った。当選後、松浪は「大阪都構想2.0 副首都から国を変える 」という著書を出版し、都構想をPR。維新は2度目の都構想の住民投票に挑戦するが、昨年11月1日、僅差で否決。その直後の11月6日の読売新聞によれば、維新は次期衆院選大阪10区の候補者について、松浪と池下の2人を軸に検討していたが、松浪が辞退したので、池下を擁立することになったというのだ。大阪10区には、強い辻元だけではなく、自民の国会議員の大隈もおり、保守票が割れる。そんなところに打って出ても、維新の党是・1丁目1番地の政策である都構想が否決された状況では、勝てるわけがない。都構想が通っていれば、本を出した松浪が、がぜん有利であっただろうが、今やその本もメルカリで売れるのを祈るばかりである。松浪が降りたのは賢明な判断であった。しかし、その絶望的に不利な状況で、池下は、火中の栗を拾ったのである。当時、自殺行為だ、府議を続けるほうが安泰だと、誰もが思ったはずだ。だが、いくら辻元に勝てないとはいえ、この大阪で、維新として候補者を立てないという選択肢はなかったのであろう。誰かが生贄になり、落選覚悟で小選挙に出ることで、より多くの比例票を確保する必要があるのだ。そうした衆院選必敗の宿命を背負った悲しき勇者が、池下だったのである。まさに「ご愁傷様」だ。
今年10月14日の衆議院解散後、辻元は、「国政選挙ですからローカルな維新は眼中にないんですけどね」とテレビのインタビューに答えた(選挙は19日公示、31日投開票)。悲しき勇者である池下にとってみれば、「眼中にない」などと斬って捨てられるのは、言ってみればネグレクト・存在の無視であり、精神的虐待以外の何物でもなかっただろう。
辻元は、投開票日の翌日、池下に「会えてよかった」と声をかけたが、眼中にない者に会えてよかったなどと思うはずがない。実は私も以前、辻元から「お会いしたかった」と声をかけられたことがある。選挙中、辻元は、池下の応援に来た鈴木宗男にも「愛してますよ、好きですよ」とマイクで叫んでいた。かつて辻元は、橋下に対して「橋下は戦争をやりたがっている。あんな独裁者は大阪から追放だ」と大騒ぎし、「大阪府民の皆さん、橋下の言うことには騙されないで!」と詐欺師のように扱っていたそうだが、先月31日の投開票日には「私は橋下さんのこと、好きなんですよ」と言い出し、宮根誠司に「(橋下氏のことは)大嫌いって言うてませんでした?大阪都構想の時に大嫌いって。好きなの?」と指摘された。
実はこれが「おばちゃんの呼吸・壱ノ型・爺殺し」とも言うべき辻元の必殺技。女性の国会議員から、愛してるだの、好きだの、会いたかっただの言われれば、特に高齢男性はほだされる。地元の運動会やイベントに辻元は毎回のように来賓として参加していたが、ある高齢者は「わしは自民支持者やけど、清美が好きやねん」と言っていた。爺殺しに殺された爺の典型である。しかし、コロナ禍でこの2年、行事は中止に。辻元の爺殺しのテクニックも発揮しづらかったに違いない。コロナ禍で辻元は持ち味を活かせなかったと考えられる。
逆にコロナ禍で支持を集めて行ったのが吉村だ。いちゃもんをつける者もいるが、大多数の有権者は、吉村の知事としての手腕を評価しているに違いない。コロナ禍という暗い世相の中、3代目無惨たる吉村は力を高めていたのだ。1年前の都構想否決という大きな出来事の記憶が人々から薄れていったことも有利に働いただろう。
しかしそれでも選挙が始まると、辻元有利の状況は変わらなかった。とにかくピンクのジャンバーを着たスタッフの数が多い。期日前投票が行われている市役所前には、ピンクの運動員が4人。商店街にも、駅前にも、同じ時間帯に、ピンクスタッフが辻元のポスターを掲げて立っている。体感的には池下陣営の5倍以上だ。民主党入りしてから、連合系の民間労働組合、市職員組合、日教組、部落解放同盟が付いたし、今回は、野党共闘で共産党までついたからだろう。少ないスタッフでやっていた社民党時代に比べれば、雲泥の差だ。濱田市長まで応援に駆け付けるのだから、国会では野党でも、地元では与党のようなものである。
街中を、おばちゃん柱のピンクの炎が覆っているような日々。池下は、柱に瞬殺されるのを待つ雑魚鬼にしか見えなかった。
だが辻元の誤算が事態を変えていく。
今回の選挙に当たって、四中校区の保護者・住民の会が、四中校区施設一体型小中一貫校についての見解を問うべく、3候補に質問状を送った。この四中校区の一貫校構想の最大の問題は、通学路の安全性だと私は考えている。
通学路になるであろう踏切やガード下は危険だと、国も市も認めているのに、何故こんな不自然なことをやるのか。何故、児童数が多いほうが、踏切等を通らなければならない計画になったのか。どう考えても政治的な力関係が影響している。
辻元は、選挙中、維新を「命をおろそかにする政治」と批判した。いうなれば、「おばちゃんの呼吸・弐ノ型・弱者の味方」だ。しかし、子ども達を危険にさらす一貫校についての質問状には回答しなかった。他の2候補は回答したのに。何故か。自分の支持団体=組織票と、濱田市長=高槻市役所・教育委員会に遠慮したからだろう。おばちゃん柱の炎の技を、味方の水の呼吸が消火した形だ。
社民党時代であれば、真っ先に、子どもの命を守れと、お得意の市民運動をしたのではないか。プラカードや横断幕を掲げてデモ行進を市役所前でしたのでは?もし、質問状に対し、一貫校に反対だと、いち早く回答していれば、比例復活くらいはできたかもしれない。池下は真っ先に「従来から開かずの踏切や狭隘なガード下が存在していることから、児童の安全面を最大限に配慮しなければならない」と回答した。命をおろそかにしているのは、維新ではなく、辻元のほうだと、少なくとも、四中校区の有権者は認識したはずだ。一票を争う接戦でこれは痛い。
さらに、辻元が爺殺しか何かで釣り上げた自民党の山崎拓に「小選挙区は絶対に辻元清美、比例は自民に」と自身を応援させたことを、維新・吉村に上手く利用された。選挙の相手が自民の大隈だけなら、敵方の大物すらも、辻元を応援していると、それだけ辻元のほうが大隈より良い候補者なのだと自民の大物も考えているとアピールでき、とてつもなく有利に働いただろう。こんな作戦は辻元にしか無理だ。誰にも真似ができない。おばちゃんの呼吸の最終奥義といってもよい。
しかし、これに松井や吉村が反応。吉村は「立憲民主と自民党が、手を組み始めた。全国の立憲民主支持の皆さん、これでいいんでしょうか?
全国の自民党支持の皆さん、これでいいんでしょうか?」とツイートし、自民だけではなく、立民もおかしな一派の構成員だと位置付けた。巧みである。
そして吉村は、選挙終盤の金曜日に半日も10区に入り、池下を支援した。池下だけの街頭演説の場では、聴衆よりスタッフのほうが多いような状態だったが、吉村が来ると、アイドルでも来たかのように有権者が群がった。もはや吉村vs辻元の様相である。無惨に対しては、1人の柱では太刀打ちができないように、吉村の猛攻に、辻元は落選し、比例復活さえ叶わなかった。
今一度念押しするが、辻元を煉獄さん、維新を鬼側に例えているが、決して、どっちが正義でどっちが悪だと意味付けしているのではない。どっちが正しいのか、どっちを有権者は評価するのかは、次の選挙の結果に反映されるのだろう。それが良くも悪くも民主主義だ。
辻元さんは四中校区の保護者・児童の命に向き合うところから始めるべきではないか。本当に弱者の味方なのであれば。口先だけの愛は有権者に見透かされる。
池下代議士は、国会で、それこそ鬼のように暴れなければ、松井代表の指摘するとおり、次は負けるだろう。衆院選必敗の宿命からは免れたが、辻元清美という最強のおばちゃんを倒した以上、今度は、世間から誰よりも注目される宿命にある。