高槻ご意見番

「高槻ご意見番」の代表で、高槻市議会議員の北岡たかひろのブログです。

ボール遊びできる高槻市の公園・「一般開放」された史跡


昨日、サッカーや野球、グラウンドゴルフ等ができる「仮設広場」(史跡で市有地)が存在していることを紹介しました。女子サッカーチームのスペランツァ大阪高槻が練習したり、少年野球チームが試合をしたり出来るくらい広い場所です。平成25年9月まで特定の団体にだけ使用許可がされていましたが、私が議会で追及したところ、高槻市教育委員会は翌月から「一般開放」するとしました。

「一般開放」ということなので、一般の市民の皆さんも自由にサッカーでも野球でもできるはずなのですが、高槻市役所は、広報したりHPに載せたり等していません。市民の方に知らせようとしてこなかったのです。市民に知らせないのは、特定の団体の使用に支障がないようにしようとしているのではないかと考えられます。

さて、高槻市にはたくさんの公園がありますが、その中で、ボール遊びができるのは、議会答弁によると、城跡公園、萩谷総合公園、古曽部防災公園の3つの大きな公園のみ。それ以外にも、スポーツ施設がありますが、「オーパス」というシステムで申し込む必要があります。申込者が複数の場合は抽選となりますし、有料です。気軽にボール遊びというわけにはいきません。

では、「一般開放」されている史跡はどこなのか。以下は大阪地裁の判決文の別紙の図。この①~⑤まで斜線の部分がその場所です。

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①郡家新町、②清福寺町、③川西町、④安満西、⑤安満東。この5か所ですが、実は、裁判の最終弁論の日に、高槻市側の代理人の弁護士さんが、私たちが嶋上郡衙跡の「仮整備地」こそ一般開放すべきではないのかと述べたところ、「そこは既に一般開放している」旨答えたのです。初耳でした。(「仮整備地」は上の図の②と③の間にあります。)

では、これら以外「一般開放」されている場所はどこなのか。今年の6月議会で質問したところ、史跡今城塚古墳、史跡新池埴輪製作遺跡、史跡阿武山古墳、史跡嶋上郡衙跡との答弁でした。嶋上郡衙跡については、裁判所での発言のとおり、裁判の対象としていない「仮整備地」等も「一般開放」しているということです。

私は平成25年の12月議会で指摘したとおり、公園の類なのに条例で設置等されていないので違法だと考えていますが、裁判所が違法ではないとのお墨付きを与えたわけですし、教育委員会も「一般開放」していると議会や裁判で主張しているわけですから、市民の皆さんがボール遊びをしても、誰も何も文句は言えないはずです。

以下は今年の6月議会でのやり取りです。

平成28年 第3回定例会(第4日 6月28日)

○(北岡隆浩議員) 北岡隆浩です。 
(中略)
 次に、史跡の一般開放等についてです。
 法律や条例に基づかずに「一般開放」という名目で、史跡を無料で使用させている問題については、平成25年12月の議会で指摘しましたが、その後、住民訴訟を提起し争っています。その裁判の最終弁論の法廷で、高槻市側の代理人の方が、私たちが訴えているのとは別の場所も「一般開放」されていると発言されました。どこが一般開放されているのかと、情報公開請求したところ、「いましろ大王の杜」と、史跡嶋上郡衙跡附寺跡の文書が公開されました。他には情報提供として、年報の抜粋などもいただいたのですが、よく分かりません。この件について4点伺います。
1点目、情報公開と情報提供でいただいた資料に掲載されている、すべての史跡が、一般開放されているということなのでしょうか?具体的にどこが一般開放されているのか、すべてお答えください。
 2点目、一般開放された史跡では、野球やサッカーなどのスポーツも行ってよいのでしょうか?野球やサッカーなどを行ってもよい史跡と、そうでない史跡は、それぞれどこなのか、具体的にお答えください。
 3点目、一般開放されていない史跡はどこなのでしょうか?具体的にお答えください。
 4点目、これらの史跡を一般開放できる法律や条例上の根拠は何なのでしょうか?お答えください。

(中略)
  〔教育管理部長(中原一行)登壇〕 
○教育管理部長(中原一行)
 史跡の開放について、数点のおたずねですが、住民訴訟が継続中ですので、2点目と4点目については答弁を控えさせていただき、1点目の具体的にどこが開放されているのか、3点目の開放されていない史跡はどこかにつきましてお答えをいたします。
 文化財保護法に基づき、文部科学大臣の指定を受けた市内の史跡は5件6か所ございます。
 具体的には、1か所目は昭和33年2月に約8.5ヘクタールが史跡指定を受けた史跡今城塚古墳。これは継体大王の真の陵として学術的評価が定着をしておりますが、平成16年度から22年度にかけて保存整備工事を行い、今城塚古代歴史館を併設し、「いましろ大王の杜」の愛称を付して公開をしております。
 2か所目は、史跡今城塚古墳などに埴輪を供給した一大埴輪工場跡である新池埴輪製作遺跡。これは平成3年7月に史跡今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡として約0.4ヘクタールが史跡追加指定を受け、平成4年度から6年度にかけて保存整備工事を行い、新池埴輪工場公園の愛称をもって公開しております。
 3か所目ですが、藤原鎌足の墓とされる阿武山古墳につきましては、昭和58年8月に約0.6ヘクタールの史跡指定を受け、昭和63年度に環境整備工事を行い、公開しております。これら3か所はいずれも整備史全体を公開しております。
 次に、4か所目ですが、近畿地方中央部において最初に確認された奈良時代の郡役所跡である嶋上郡衙は昭和46年5月に隣接する芥川廃寺をあわせて嶋上郡衙跡附寺跡として、約9.8ヘクタールが史跡指定を受け、以来、史跡公有化事業に取り組み、現在、4割弱の公有化を行っている状況です。
 次に5か所目ですが、弥生時代の環濠集落遺跡として著名な安満遺跡は、平成5年11月に京大農場北側約6.4ヘクタールが史跡指定を受けました。次いで、平成23年2月に京大農場の一部約6.4ヘクタールが史跡追加指定を受け、史跡公有化事業に取り組む中、現在の公有化率は6割5分といった状況でございます。このように嶋上郡衙跡と安満遺跡は公有化途上にあり、一定のまとまりのある公有地を開放しております。
 最後に6か所目、未盗掘の石室2基が確認をされた古墳時代前期築造にかかる闘鶏山古墳は、平成14年に発見され、同年約2ヘクタールが史跡指定を受け、公有化を図ったところですが、現在保存のための調査中につき公開しておりません。
 以上でございます。