高槻市内の京都大学農場で、大規模な弥生時代の水田域を検出したということで、高槻市教育委員会文化財課が現地説明会を開催。本日行ってきました。その様子を次の動画にまとめました。
安満遺跡は、居住域・水田域・墓域がそろって出土したのが特徴で、このような遺跡は他にはないようです。弥生時代の遺跡といえば、登呂遺跡と吉野ヶ里遺跡が有名ですが、登呂遺跡はお墓の存在が分からず、吉野ヶ里遺跡は水田が分からない。そういうことからすると、安満遺跡は全国的に有名になるかもしれません。
今回の水田跡は、報道はされていませんが、実は、雨水貯留施設を建設するにあたって発掘調査を行った際に検出されたもの。
この水田跡は「貴重な発見」であり、高槻市の史跡整備指導検討会から「現地保存」を図るべきとの答申がされたので、現地保存をするということです。
しかしこのあたりに水田跡が存在するであろうことは、以前から分かっていました。
この図は以前高槻市から示された資料の中にあったものです。赤い点線が史跡指定された範囲。色が薄くて分かりにくいので水色の線で囲みましたが、そこが生産域、つまり水田があったと推測されていた場所です。
私は平成23年9月14日の総務消防委員会で・・・
次に、史跡の範囲と遺構が出土する可能性について質問します。4点質問します。
1点目、防災公園部分には、弥生時代の水田域が含まれていますが、問題はないのでしょうか。
2点目、史跡部分はどういった基準で定めたのでしょうか。
3点目、防災公園部分からは絶対に今後、遺構は出土しないのでしょうか。
4点目、仮に、その防災公園部分から遺構が出土した場合、最大で工期にどれだけ影響があると考えられるのでしょうか、それぞれお答えください。
・・・と質問しましたが、
ただいまの4点にわたるご質問でございますが、史跡の関係でございますので、本委員会の所管ではございませんので、お答えしかねます。よろしくお願いいたします。
・・・という答弁でした。総務消防委員会の委員である私は、委員会でしか質問できないのに、このような答弁をされるとは・・・不誠実な答弁としか言いようがないわけですが。
上の図に今回の調査範囲(ピンク色)を重ねると次の図のようになります。
ピンク色のうち、太い赤線で囲んだ場所が、遺構が出土したため、現地保存を図るべきとされた範囲。遺構は、出るべくして出た、という感じです。
平成25年8月2日の史跡整備等特別委員会で、私は、遺構が出土した場合について質問したのですが、以下のとおり「記録保存」(写真を撮る等して記録するが、現地は破壊)するという答弁でした。
○(北岡委員) また、数点お尋ねします。
1点目ですけれども、雨水貯留施設は、国が史跡指定している区域以外の場所につくるのだと思いますが、史跡指定されていない部分についても遺構が出てくる可能性があると思われます。万が一、建設前、あるいは建設中に遺構が出てきた場合にはどのようにされるんでしょうか。お答えください。
(中略)
○(下水河川企画課課長代理) 1点目の、遺構が出た場合はどうするのかについてでございますが、貯留施設は、史跡安満遺跡の指定区域外において建設を考えております。また、建設に際しては、事前に埋蔵文化財の調査を実施し、記録保存の措置を講じた上で行います。
(中略)
○(北岡委員) さらに、3点、質問させていただきます。
1点目、事前の埋蔵文化財の調査についてです。遺構が出た場合については、建設の前に事前に埋蔵文化財の調査をして、記録保存の措置を講じるとのことです。その事前の調査で、埋蔵文化財が出土した場合には、最大で工期や費用にどれだけの影響があるんでしょうか。
(中略)
○(下水河川企画課課長代理) 1点目の、埋蔵文化財調査に係る施設建設への影響についてでございますが、埋蔵文化財が出土した場合も、記録保存の措置を講じ進めてまいりますので、影響はないものと考えております。
答弁と違う対応になったわけですが、全国的に貴重な遺跡なので、当然、今回の水田跡は、史跡指定された範囲と一体的に現地保存すべきでしょう。それだけではなく、他にも「生産域」の範囲は広がっているし、今日の説明によると、洪水等で使えなくなった水田は、墓地として使用していたということなので、もっと広い範囲を発掘調査し、遺構はできるだけ現地保存して、遺跡全体の広がりを示すことも含め、余すところなく全国の皆さんに伝えるべきではないでしょうか。
数年前まで、高槻市役所は、ガンバ大阪のサッカースタジアムを京大農場に建設するとか、行政案の一つだとか言っていたわけですが、今回の発見からしても、どう考えても無理だったわけですね。
安満遺跡は大変貴重な遺跡ですし、全体をしっかりと発掘調査して、史跡の範囲と、防災公園とすべき範囲を、もう一度考え直すべきではないでしょうか?