高槻ご意見番

「高槻ご意見番」の代表で、高槻市議会議員の北岡たかひろのブログです。

【京大農場】「密約」から見えてくる高槻市役所の狙いは「時間切れ」


高槻市の京大農場買取りの問題は、非常に複雑で、流れをよく見ている方でないと、ちゃんと把握はできないと思います。

簡単に流れをまとめると・・・

【覚書締結・京大農場移転】
 平成15年に、ガンバ大阪の本拠地となるサッカースタジアムを京大農場に建設する公約を掲げた奥本市長は、18年に、それを「都市型公園整備構想」という行政案に取りまとめさせて、京都大学にその構想を説明し、21年に京大・URとの間で農場を買取る覚書を締結した(地方自治法や市条例上、一定の金額・面積以上の土地購入には議会の議決が必要だが、この覚書については議会の承認が得られていない)。
 この覚書に基づいて、京都大学は農場の移転を決定してしまった。

【遺跡の影響・範囲確定時期】
 しかし、京大農場には貴重な遺跡・安満遺跡が埋まっており、遺跡のある場所にはスタジアムは建設できない。遺跡の調査がされ、文部科学省に史跡指定されたのは、公約から約8年が経過した23年2月。そこでやっとスタジアムが建てられる可能性のある範囲が確定した(ただし、史跡指定されていない範囲からも、今後遺構が出土する可能性を高槻市は裁判で認めている。遺構が出土した際には工期が遅れるおそれがある)。
 逆に言うと、23年2月までは、農場のどの部分にスタジアムが建てられる可能性があるのか、まったく分からなかった・確定されていなかったのであるから、そんな状況下で、奥本市長が公約し、それを市役所が行政案にし、京大農場を買取る覚書を交わしたことは、市長・行政としてあるまじき滅茶苦茶なやり方としかいいようがない。

【防災公園と補助金
 農場取得にあたっては、史跡部分は文化庁補助金を受けて(8割補助)、それ以外は「防災公園街区整備事業」を活用し、国土交通省補助金を受けて(3分の1補助)行う予定とされている。
 ただし、15年の公約時から約6年間、防災公園にするといった説明はなく、21年2月に初めてこの制度と補助金の活用が説明された。
 高槻市役所は、21年5月に「市全体で防災公園が幾ら要るとか、今の段階で何ぼという話はない」と答弁。つまり、防災公園が必要だから、補助金を活用する、というわけではない。
 その約1年前の20年2月には、「事業手法につきましては、当然のことながら、国の補助制度も含めまして、できるだけ本市にとって有利な手法、事業手法を模索していきたい」という意向を示していた。その模索の結果が、「防災公園街区整備事業」なのであり、防災上の必要性からではなく、単に補助金を得るためだけに、その事業を利用するのである。



そして、この9月議会で新たに分かったのが、奥本前市長とガンバ大阪社長との「密約」の存在です。

9月9日の本会議で、久保隆前議長は、

・・・ガンバとのやり取りの中で、奥本市長が、ガンバをここ(京大農場)に呼んでくるんやということで、ガンバの社長とも、トップ会談をされて、文書ではなしに、口頭で、信頼関係の中で、ガンバ大阪を高槻に呼んできたいという、これは、市長と社長の思いですから、文書が要るのか要らないのか、私には分かりません。しかし、信頼関係の中で、ここまで培ってこられた現状だと思っております。ですから、文書が要るとか、契約したのかとか、どうやったのかとか、そういう問題ではなしに、トップ同士の思いをお互いに共有化されてきた話だと思っています。・・・



と発言しました。つまり、口頭ではありますが、スタジアム建設を約束していたこということです。

このようなことは、高槻市から公式にまったく説明がありませんでしたから、密約があったといわざるを得ません。

9月14日の総務消防委員会で、これについて質したところ、

本年2月、史跡指定の告示を受けた後、奥本前市長は、ガンバ大阪の社長と会われ、それぞれの想いについて意見交換されたと聞いております。



とのことでした。

「それぞれの想い」とは何なのか?久保前議長の言ったことは嘘なのか?と尋ねましたが、明確な答弁はありませんでした。

「それぞれの想い」というのは、奥本前市長のほうは、公約のとおりの想いでしょうし、ガンバ大阪の社長のほうは、高槻市議ほぼ全員に対しロビー活動をして、京大農場にスタジアムを建設したいと言っていましたから、そういう想いであるはずです。両者の想いが一致しているわけですから、市の答弁からも、密約があったものと考えるしかありません。

しかし、なぜか、高槻市は、平成23年3月9日の総務消防委員会で、内部で3つの行政案の試案を作成していると答弁しました。この時はまだ、奥本市長は市長として在職中です。

2月にスタジアム建設の約束を交わしたのに、3月には3つの案を作成しているというのは、いったいどういうことなのでしょうか?

上記の【遺跡の影響・範囲確定時期】でも述べましたが、京大農場のうち、史跡指定されていない範囲からも、今後、遺構が出土する可能性を、高槻市は認めています。ガンバがスタジアムを建てたいと言っていた西側は低湿地帯ですので、地盤が軟弱な可能性もあります。

京都大学農場の遺跡の分布と史跡指定範囲

遺構が出土したり、地盤が軟弱であったりすれば、工期が遅れ、ガンバ大阪がACLの試合開催の都合で期限としている2014年(平成26年)3月に間に合わない危険性があります。

そもそも、京大農場が移転しなければ工事が始められないのですが、その点について、高槻市は、14日の総務消防委員会で・・・

 移転時期・工期に関するご質問ですが、
 本年8月の特別委員会において、京大農場の移転スケジュールの案をお示しいたしましたが、公園整備のスケジュールについては、今後、上面利用の検討を行い、具体的な検討を進める中で、報告させていただきます。
 また、サッカースタジアムの建設工期に関してですが、詳細な部分について、承知しておりません。



・・・と答弁しました。移転時期すら示すことができないのです。(8月5日の史跡整備等特別委員会で配布された資料のスケジュール案によると、早くても25年度になるようです。)

京都大学農場の移転スケジュール案

ちなみに、工期についても高槻市は具体的な期間を答えませんでしたが、ガンバ大阪に確認したところ、工事が順調にいって2年間とのこと。この2年間という期間は、高槻市が18年にまとめた「都市型公園整備構想の基本的な方針」の最終ページでも示されています。高槻市はとぼけた答弁をしているのです。

公園構想等スケジュール素案

けれども市長は、ガンバと約束を交わしてしまった。もし、ガンバが工事を着工してしまった後に、遺跡や軟弱な地盤のために、スタジアムが間に合わなければ、市長・市役所の責任ということになり、莫大な損害賠償請求をされることにもなりかねない・・・それを恐れて、逃げ道のために、他の2案を用意したのではないのでしょうか?

あるいは、市長選挙において、賛成派の票も、反対派の票も、取り込むために、密約の存在を隠し、ダミーとして他の2案をほのめかしたのか。そうであれば、市民に対する背任行為といえると思います。

いずれにせよ、スタジアム建設は、面積や形状からだけではなく、工期的にも厳しいのですから、普通の良識ある行政ならば、建設を約束することはあり得ない話です。しかし、高槻市には、奥本市長が(根拠もなく)公約して、行政案にしてしまったという弱みがあります。それらに縛られて、京大農場を購入する覚書ばかりではなく、ガンバ大阪と密約まで交わしてしまったと思われます。

濱田市長は奥本前市長の後継者ですから、それらの約束を反故にすることはできないのでしょう。今でもガンバのスタジアム建設は、行政案の一つだとしています。おまけに、約67000人の署名まで集められてしまいました。

高槻市は、いったい、この状況をどう切り抜けるのか・・・その手段が「外部検討委員会」による時間稼ぎなのだと、私には感じられます。

高槻市は、学識経験者と市民団体代表で構成する10名程度の「外部検討委員会」を設置して、京大農場の利用案を検討し、どんな施設を造るのか、今年度末(来年3月)までに決定するとしています。

けれども、来年の3月にスタジアム建設を決定するといっても、ACLの期限はその2年後。スタジアムの募金団体の設立や資金集め、遺跡や地盤の調査などのことを考えると、2年では非常に厳しく、実質的には建設は不可能でしょう。ガンバ側から辞退を申し出ることになるのではないでしょうか?

しかし、つい最近まで、高槻市においては、スタジアム建設が、唯一無二の行政案だったのです。そのままであれば、今頃あっさりと、スタジアム建設が決まっていたかもしれません(反対運動が起きた可能性は高いですが)。

それが、何故か、今年の3月から、スタジアムは3つの案のうちの一つになってしまった。前のブログの記事に書いたとおり、平成22年11月に「行政案の一つ」という言葉が突然使われ出したのですが、市役所内部で、どのような経緯で、市長の目玉公約が行政案の一つに成り下がったのか、それを高槻市はまったく明らかにしません。

そして、3つの行政案が具体的に示されたのが、今年の8月。それを10月に設置する「外部検討委員会」で検討するというのですが、そのメンバーは公募しないで集めるのだというのです。高槻市にとって都合のよい人達ばかりになるおそれが極めて高いと考えられます。

それはまったく誉められたやり方ではなく、公募にすべきだと思いますが、非公募で都合のよい人ばかりを集めるなら、8年前からの約束であったスタジアム建設という結論を早急に出し、12月議会にかけられるはず。そうすれば、ガンバ大阪も、工期的な部分だけですが、なんとかスタジアムを建設できると判断するかもしれません。

久保前議長によれば、ガンバは当初、12月までに返事がほしいと言っていたそうですから(現在では9月までにと言っているそうですが)、12月までに結論が出れば、間に合うと考えていたのではないでしょうか。

ところが、結論が出るのは、来年3月だというのですから、高槻市は故意に「時間切れ」を狙っているとしか考えられません。

今日報道されたように、ガンバ大阪の新スタジアムは、吹田市に建設される方向とのこと。高槻市が時間切れを狙っていたとするならば、これは非常に好都合な結果でしょう。

しかし、そもそも、京大農場を買う覚書を交わした原因は、奥本市長がサッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致の公約を掲げたことにあります。これが実現不可能になったのですから(というか、遺跡の範囲が分かる前に公約し、土地を買う約束をするという滅茶苦茶ぶりだったのですが…)、京大農場を買う必要はありません。


濱田市長は、京大農場を防災公園にすると言っていますが、これも必要性が極めて薄いもので、国の補助金をだまし取るようなものであり、他に早急に防災力を強化しなければならばい場所がありますから、やるべきではありません。ちょっと長くなってしまいましたので、その件はまた後日に。